ところで、「定軍山」は現在の陝西省漢中市にあり、お茶の名産地だそうですよ。
定軍のブランド茶「定軍茗眉」は、1996年には国賓に出されるお茶として選出されたそうです。
さて、定軍山の戦いに大勝利した劉備は、幕僚たちの懇願に仕方なく応じると言う形で「漢中王」を名乗ります。
この時代、臣下の身分の者が王を名乗るのに自分から立候補、と言うわけに行かず、そんな事はかなり図々しい振る舞いだとされていました。
中国のお得意の論法「上は天意に従い、下は民意に従う、故にこれは自然の摂理である」が必要なんですね。
この時滔々と「主公は王位に就くべきだ」と述べたのは、「法正」と言う参謀です。
義と言う点からみると、あまり好ましい人では無い様ですが、劉備はこの「法正」を非常に高く評価していました。
ライバル曹操も法正を得られなかった事を悔しがったと言います。
諸葛亮は軍事より内政と糧食・兵器の調達を受け持っており、どちらかと言うとバックヤードに徹していたようです。
法正の存在は、この「新三国」でも出ては来ますが、実際の彼の活躍よりかなり差し引かれた表現になっています。
諸葛亮を目立たせる為には、仕方なかったのでしょうね・・・
諸葛亮を演じるル―・イ―さん、カッコいいからなあ…↓ (法正さんは ソコソコですね・・・)