チャイナなブログ ANDOR Kishimura

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 劉備の蜀漢 諸葛亮の活躍 ≪three kingdoms-第77-78集≫

最近は「大秦帝国」も観終り、ちょっと脱力状態です・・・次は何を見ようかな…
 
さて、献帝からの禅譲で劉氏から曹氏に帝室が移り、曹丕が初代皇帝になった事に反応して、劉備は別に「漢」を建国しました。蜀漢」と呼ぶのは、後の「漢」と区別するために後世の人が付けた名前だそうです。
もちろん、劉備が漢の正統として初代皇帝となりました。
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 ドラマでは、献帝が船と共に河に沈みこの世にいないので、劉備が皇帝を名乗っても矛盾は無いのですが、史実では献帝は未だピンピンしている訳ですから、漢室再興は単なるお題目だったようですね。
 
曹操劉備は「偽仁偽義的人」と言っているのが正しいですね。
こういうワザとらしいところ、私が劉備を好きなれない理由です。
 
そうして、劉備の最初の詔が「東呉征伐」でした。
 
これは、諸葛亮趙雲を始めとする家臣たちの大反対にあうのですが、関羽の仇討ちを名目に断行します。
ドラマでは 張飛の葬儀の席で「今後東呉征伐をとやかくいう者は、全て敵と見なす!」と宣言します。
(この頃張飛も部下に殺されて亡くなってしまうのです。
 
諸葛亮たちも、ここまで来たら逆らえず、背後を承相として支えていきます。
東呉征伐は最終的に失敗するのですが…
 
 
 
 
 
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まあ、劉備はちょっと置いておいて、諸葛亮です!
 
この蜀漢の内政を仕切っていたのが、諸葛亮だったそうです。
劉備が亡くなり、その子「劉禅」が後を継いでも、諸葛亮はずっと補佐を続け、事実上の総理大臣みたいだったようです。
 
「事无巨細、咸決于亮」事の大小に関わらず、皆「亮」が決裁する。
やっぱり諸葛亮さんは、軍師と言うより政治家で外交官だったんじゃないかと思います。
 
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 諸葛亮さんは、この漢の財政を立て直す為にも、色々事業もやったようです。
塩と鉄の専売、農業の復興、手工業の復興など・・・
 
そう言えば、蜀は今の四川省四川料理は辛いですよね。
塩が盛んだったから、塩をふんだんに使えるし、だから蜀の料理は辛いのでしょうか・・・ホンマかいな?!