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三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 諸葛亮 天才的外交家≪three kingdoms≫

今は新三国、86集まで来ています。
魏呉蜀のトップは 孫権だけが生きていて、曹丕劉備も他界しています。役者はすっかり変わっており、今度は諸葛亮司馬懿の戦いが始まろうとしています。
 
さて、この新三国はヒーローが何人かいますが、中盤からは間違いなく諸葛亮が中心人物です。
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諸葛亮は中国でも日本でも人気のある人ですが、イメージが先行しているようにも感じます。
 
と言うのは、天才的軍師として劉備三顧の礼でもって迎える人ですが、当時は未だ26,27歳。
実戦の経験はなく、晴耕雨読をしながら自分で「臥龍」だと号している、ある意味自信過剰な若い衆です。(^_^.)
 
その若い衆を三顧の礼を以て迎えたのだから、劉備は何を基準に判断したのでしょうか…。
新三国では徐庶の推薦のみですが、徐庶が傑出した軍師だから、100%信じたのですかね…。
実は諸葛亮が自ら売り込みに行ったとも言われています。
こちらの方が信憑性はあるように思えますね・・・。
劉備は、自分よりずっと年下の実績のない若者を取り立てるのだから、人の才を見抜く力は大したものですね!)
 
 
天才軍師とし名高い彼ですが、赤壁の時は実際には殆ど何にもしていません。
彼が死ぬ前に行った北伐(魏との戦)も最初は良かったけれど、司馬懿が都督になってからは成功した印象は余りありません。
 
この新三国でも、軍師と言うより、肝が据わった、弁の立つ交渉の達人で、外交家としての敏腕ぶりが目立つようです。
敵側にも「三寸肉舌殺万人」と恐れられています。兵を動かさず、口だけで勝つのですから、こちらの方がすごいと思います!
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(想像ですが、劉備に仕える時も「天下三分の計」を滔々と説いて、自己アピールしたんじゃないかな…。本当にあくまで私の想像ですが。)
 
劉備が漢中王を名乗るときに、法の制定なども命じているので、各国の法律に明るく法律家としても傑出した人だったのでしょう。
また、彼の死後民衆が彼の廟を立てたい、と次々申し出ているところを見ると、国を治める政治家としても腕のある人なのでしょう。
劉備は死に際に、蜀の後事一切を諸葛亮に託しています。
軍事だけではなく、大局から人を動かし国を治める、一国の主としての力を諸葛亮に認めたからだと思います。
 
三国志演義では、天候を操って東風を起こしたり、流星を見て人の死を予見したり、呪術師みたいな感じもありちょっと神がかり的です。
完全無欠なヒーローを皆が求めていたから、こんなイメージが作り出されたのかもしれませんね。(^_^.)