2012-10-14 三国志 劉備、諸葛亮に蜀漢を託す。≪three kingdoms 82~83集≫ 三国志(TV・映画) お久しぶりに三国志の話題です。 日中関係は依然として、あまり良くは有りませんが、こんな時こそ文化交流はやめるべきではないと思います。 だから三国志、と言う訳ではありませんが・・・(単純に好きなだけです) さて、白帝城で臨終の床についた劉備。劉備は蜀漢の後事を諸葛亮に託しました。 「劉備は偉いな~」と思ったのは、次期王の座を必ずしも自分の息子「劉禅」に渡そうとしなかった事です。 創業者の大多数は、最初は有能な部下に次期社長を譲ろうと思うのですが、年を取るにつれて結局自分の血筋を後継ぎにしてしまい、有能な部下が離れていくケースが多いものです。 しかし、劉備は大局に立った決断をしています。 劉備は諸葛亮にこう言っています。 「劉禅が王位を継ぐに相応しければ、補佐して欲しい。しかし、取るに足らない人間ならば、諸葛先生が王になり蜀漢を治めてほしい」 それも、息子の前で。これは なかなか言えない言葉です。 諸葛亮は深く感動し、劉禅を補佐する事を誓います。(関係無いですが、諸葛亮も老けましたね…) 深読みすれば、劉備は諸葛亮の勘所を分かっていて、断る事を前提にワザとこんな事を言ったのかもしれません。 そうだとすれば、自分の命を掛けた最後の大勝負とも言えますね…。 劉備は人を使う器で、諸葛亮は優れた能力を持っていたけれど、臣下となる人だったのかもしれません。(考えすぎかな) また、劉備は自分の息子はあんまり出来が良くない事も分かっていて、諸葛亮に彼の義父になってくれるように頼みます。 これも、賢い託し方だったな、と思います。 さて、劉備の死は 直ぐに東呉や魏に伝わります。 曹丕は即蜀漢攻めするべく、司馬懿に献策を依頼します。 司馬懿は「五路の策」を曹丕に授け、曹丕は実行を決意。司馬懿は自分に軍を任せてもらうように願いますが、曹丕はこれを拒否します。 曹操の「司馬懿を用いよ。しかし、これを遠ざけよ」との言葉に従った訳ですが、司馬懿の才能は認めながら、信頼はしていなかったのですね。司馬懿の忠誠心は表向きだけだった事を分かっていたんですね。 曹丕はしばしば残忍な王としてのみ表現されますが、結構優れた人だったように思います。 曹操・曹丕・曹植は三曹とも呼ばれ、詩文の才もあったようです。この「新三国」では 曹丕を丁寧に描いていて面白く思います。 劉備の後を継いで王になった劉禅は、魏の攻撃の報を聞きうろたえますが、そこは諸葛亮、抜かりは有りません。 諸葛亮は、魏国の「五路の策」の対策を次々に劉禅に示し、劉禅はすっかり安心します。 更に、諸葛亮は魏がすでに東呉との連携に動いたと見て、蜀呉同盟を堅固なものにする為「馬稷」を東呉に送り込みます。(関係無いですが、この諸葛亮は男前ですね~) 次回は 馬稷の見せ場です!命懸けの呉王説得。 昔の人は肝が据わってたんですね~