新三国、ついに中盤33集に入りました。
32~33集では、劉備は武力だけでは天下はとれない、戦略を練る軍師が必要である、と悟ります。
この時代の寿命は短かったでしょうから、老年に差し掛かり諦めの気持ちも湧いていた事でしょうね。

しかし、天才軍師「徐庶」はこれを看破、打ち破ります!
「八門金鎖の陣」だって??? 何、それ?
難しいですね~
困った時の「百度百科」
でも、残念ながら読んでも良く分かりませんでした。
以下、「八門金鎖陣」に際しての徐庶の言葉です
八門には「休、生、傷、杜、景、死、惊、開」の8つの門が有る。
生・景・開門から侵入するのが良い。
傷・惊门、休门から侵入すれば打撃を受け、杜・死門から侵入すれば滅ぼされる。
今八門の布陣は隙が無いが、真中に抜けが有る。
もし東南の角から侵入し、西の景門から出るなら陣形は必ず乱れる。
分からんな~
何で 東南から入って西から抜けたら 陣形が崩れるんや~?
どの角から入っても同じやん~
(凡人のつぶやきです)
更に調べると「八門金鎖陣」は吉方などを占う「奇門遁甲」からヒントを得たものの様でした。
「奇門遁甲」に八門の定義が有りました。
古代では将来を見る占学は帝王にこそ必要なものでしたから。
劉備が涙ぐむ程の圧勝でした!
(徐庶も易学の知識が有ったと言うことですよね)
その後 諸葛亮により改良され、完璧な「八門金鎖陣」になったそうです。

良く映画などで、諸葛亮が印を結んだ指で空を切る所作が見られますが、これは易学から来ているようです。
後に日本では陰陽師がこの様な動作をしていますよね。

いや~奥が深い。
兵法と易経に関係が有ったなんて。
三国志って本当に面白いですね~