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三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 八門金鎖の陣と徐庶≪three kingdoms-32~33≫

新三国、ついに中盤33集に入りました。
 
32~33集では、劉備は武力だけでは天下はとれない、戦略を練る軍師が必要である、と悟ります。
 
実際、劉備には関羽張飛趙雲の3武将がいますが、負けが続いており、劉備も齢50になっても劉表の世話になっていました。
この時代の寿命は短かったでしょうから、老年に差し掛かり諦めの気持ちも湧いていた事でしょうね。
 
諸葛亮は有名ですが、彼と出会うまでは「徐庶」が新軍師として劉備に仕えました。
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劉表の支配地である新野に逗留していた劉備は、偶然に「徐庶」と出会い、その才能に魅了されて軍師に招きます。
 
曹操は優れた経営者でもあった様で、徐庶を得た劉備を「今まで一翼だったものが 両翼になった」と言っています。(文武が揃った)
 
さて、曹操配下の「曹仁」が「曹操」直伝の兵法を使い、「八門金鎖の陣」で新野攻撃を仕掛けます。
しかし、天才軍師「徐庶」はこれを看破、打ち破ります!
 
「八門金鎖の陣」だって??? 何、それ?
 
難しいですね~
困った時の「百度百科」
でも、残念ながら読んでも良く分かりませんでした。
以下、「八門金鎖陣」に際しての徐庶の言葉です
 
八門には「休、生、傷、杜、景、死、惊、開」の8つの門が有る。
生・景・開門から侵入するのが良い。
傷・惊门、休门から侵入すれば打撃を受け、杜・死門から侵入すれば滅ぼされる。
今八門の布陣は隙が無いが、真中に抜けが有る。
もし東南の角から侵入し、西の景門から出るなら陣形は必ず乱れる。
 
分からんな~
何で 東南から入って西から抜けたら 陣形が崩れるんや~? 
どの角から入っても同じやん~
(凡人のつぶやきです)
 
更に調べると「八門金鎖陣」は吉方などを占う「奇門遁甲」からヒントを得たものの様でした。
奇門遁甲」に八門の定義が有りました。
この占術は易経にも収められていて、天文学と方位吉凶が詳細に研究されたものらしいです。
奇門遁甲」は帝王学とも呼ばれ、古代中国で開発された高度な学問だったようです。 
古代では将来を見る占学は帝王にこそ必要なものでしたから。
 
とにかく天才軍師「徐庶」はこれを見事破り、曹仁軍に大勝利しました。
劉備が涙ぐむ程の圧勝でした!
(徐庶も易学の知識が有ったと言うことですよね)
 
その後 諸葛亮により改良され、完璧な「八門金鎖陣」になったそうです。
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良く映画などで、諸葛亮が印を結んだ指で空を切る所作が見られますが、これは易学から来ているようです。
 
後に日本では陰陽師がこの様な動作をしていますよね。
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いや~奥が深い。
兵法と易経に関係が有ったなんて。
三国志って本当に面白いですね~