チャイナなブログ ANDOR Kishimura

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 陸遜、劉備を倒す。≪three kingdoms 80~82集≫

すっごく久しぶりに三国志に戻ってきました。
BSフジで放送していた三国志も終わってしまい、ちょっと寂しい感じです。
でも、テレビ三国志の追っかけ記事は最後まできっちり書きます!
 
さてさて、「蜀漢」を建て初代皇帝になった劉備の最初の大仕事が東呉征服でした。
この大プロジェクトは苦楽を共にしてきた重臣たち、諸葛亮趙雲も大反対でしたが、皇帝の権力にモノを言わせて断行したのです。
 
それを受けた東呉の孫権は気が気ではありません。
 
その当時、蜀漢は大国、東呉は小国。軍事力は比べようもなく小さく、誰が見ても東呉の負けでした。
イメージ 1
 
 
そこで孫権は大きな賭けに出ます。
弱冠28歳の陸遜を大都督に命じたんですよ~
イメージ 2
 
 
東呉は伝統的に若年から英雄が出るお国柄だそうですが、陸遜は文官で戦争経験は浅い。
ドラマでは自己推薦で、陸遜孫権に直訴してます。
もちろん東呉の老臣は大反対。
 
関西の船場言葉でその様子を実況すると、
 
重役「そら、社長、無茶だす!陸遜なんかこの間まで書生やったボンボンやおませんか。」
 
社長「そう言いはるんやったら、アンタらが何とかしはったらどうや!」
 
重役「そやから、せんど申し上げてますやろ。蜀漢に吸収合併してもうたら宜しいんや。それが一番だす。」
 
社長「アンタらは何言うてはるんや!この東呉はな、腐っても100年からの歴史がおます。僕がそんなことしたら、先代にどう申し開きするんや!」
 
重役 シーン。無言・・・。
 
陸遜「重役のみなさん、全権を僕に委任して戴けまへんか。僕には自信が有りますんや!」
 
孫権「その意気や!僕はキミと心中する覚悟や。思いっきりやりや。」
 
という事で、陸遜は大都督になりました。
イメージ 3
 
 
それに引き換え、劉備は慢心。
その頃は猛暑で、その暑さを凌ぐため周りを森で囲われた平地に陣を構えました。
諸葛亮もいなくて、進言する人もいないから、絶対にアカン!事をしてしまいました。
 
一方陸遜は、最初は敗戦が続きましたが、じっと機を窺ってたんですね。
 
この劉備の陣営をみて「やった!」と一気に火攻めにします。しかし、ここ迄来るのに約一年掛かったと言うのですから、我慢した孫権もエライ!
劉備陣は周囲が森でしたが、この猛暑で乾き切っており、水場からも遠く、全焼です。
 
イメージ 4
 
 
蜀漢軍は必死の思いで逃げましたが殆ど壊滅状態、劉備は辛うじて「白帝城」に逃げ込み、ここで落胆のあまり病気になります。
 
彼自身も老齢に差し掛かっていたのと、侮っていた東呉にやられ、荊州を失い、軍もほぼ全滅。
重臣から反対されていただけにメンツ丸つぶれ状態です。
まあ、落胆と恥ずかしさで病気になっても仕方ないですよね。
これで若ければやり直せるけど、もう年老いた自分にチャンスはないと思ったんじゃないでしょうか。
 
結局、劉備はここで亡くなります。
まるで平家物語を地で行くような話です。「驕れるものは久しからず・・・」
イメージ 5
 
その後は かなり頼りない劉禅君が継ぐのですね・・・
この子がまた、どうしようもない意気地のないお子で。
イメージ 6
 
諸葛亮はこれから苦難の道を歩むのですね…。あ~お気の毒。