アジア な  ブログ

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 張飛の死 ≪Three kingdoms 第73~74集≫

現在三国志93集を視聴中です。
あー残すは2集だけです。さみしいですね~。
ただ現在BSで放送中の方は、まだ40集くらいなのでそちらを又見るつもりです。
 
さて、桃園で誓い合った3兄弟、劉関張のうち既に関羽は亡くなってしまいましたが、今度は張飛です。
 
張飛関羽が亡くなった後、仇討の東呉征伐が中々実施されないのにイライラし、劉備へ直談判に行きます。
その頃劉備は蜀の皇帝を名乗り、張飛車騎将軍司隷校尉に任命され、西郷公に封じられていました。大出世!
義兄弟の必死の言葉に劉備も絆され、重臣たちに反対されていた東呉征伐を決行します。
東呉征伐の軍備を整える為、張飛は部下に無理難題を命じます。
命じられた将軍が期日を守れなかったため、張飛はこっぴどく罰しますが、その将軍たちは恨みを抱き、逆に張飛の寝首をかき、東呉の孫権へ投降してしまうのです。
 
あれほど勇猛な武将も、自分の部下にあっさりと殺されてしまうのですね。空しいですね…
 
私はあまり張飛には関心なかったのですが、今回中国の「互動百科」で[張飛]を調べたところ、新しい発見が結構ありました。
 
まず、張飛らしいところは、彼の嫁取りです。なんと、略奪なんです!
 
被害者?は、夏侯渊の娘さんですが、彼女が十三、四歳のとき外出していたところをさらわれたらしいです。いかんな!張飛
 
張飛の子供たちについても、あんまり語られていませんが、娘二人は劉備の息子劉禅に嫁ぎ、皇后になっています。張飛は蜀では貴族になったのですね。
 
次に、張飛の風貌ですが、最近の調査によるとドラマの扮装とは全然違っていたようです。
張飛と言えば、こんな感じが定説です。
イメージ 1
 
でも、本当は美男子で、三国時代に作られた像には髭さえも無いそうですよ。
髭ボウボウの野獣の様な風貌とは、えらく違ってますね~
(本当は諸葛亮張飛見たいだったりして…)
 
また、張飛は武力だけの、ちょっぴりガサツな男のように描かれていますが、実は書が上手く、美人画も良くしたそうです。
なかなか文武両道の美男子だったようですね~
 
それに、自分に逆らう敵方の将軍でも、気骨がある人には礼を尽くし、客分として扱うこともあったそうで、人を見る目もあったようです。
但し、これは相手が相当な身分の人ならではで、自分の兵に対しては当たり散らしたり、刑罰をやたら厳しくしたりで、下からの人望は無かったようですね…
 
三国志演義では この部下に当たり散らす張飛が強調されていて、ちょっと残念です。
きっと劉備諸葛亮との対比が必要だったからでしょうね…