あー残すは2集だけです。さみしいですね~。
ただ現在BSで放送中の方は、まだ40集くらいなのでそちらを又見るつもりです。
さて、桃園で誓い合った3兄弟、劉関張のうち既に関羽は亡くなってしまいましたが、今度は張飛です。
張飛は関羽が亡くなった後、仇討の東呉征伐が中々実施されないのにイライラし、劉備へ直談判に行きます。
義兄弟の必死の言葉に劉備も絆され、重臣たちに反対されていた東呉征伐を決行します。
東呉征伐の軍備を整える為、張飛は部下に無理難題を命じます。
命じられた将軍が期日を守れなかったため、張飛はこっぴどく罰しますが、その将軍たちは恨みを抱き、逆に張飛の寝首をかき、東呉の孫権へ投降してしまうのです。
あれほど勇猛な武将も、自分の部下にあっさりと殺されてしまうのですね。空しいですね…
私はあまり張飛には関心なかったのですが、今回中国の「互動百科」で[張飛]を調べたところ、新しい発見が結構ありました。
まず、張飛らしいところは、彼の嫁取りです。なんと、略奪なんです!
被害者?は、夏侯渊の娘さんですが、彼女が十三、四歳のとき外出していたところをさらわれたらしいです。いかんな!張飛!
張飛の子供たちについても、あんまり語られていませんが、娘二人は劉備の息子劉禅に嫁ぎ、皇后になっています。張飛は蜀では貴族になったのですね。
次に、張飛の風貌ですが、最近の調査によるとドラマの扮装とは全然違っていたようです。
でも、本当は美男子で、三国時代に作られた像には髭さえも無いそうですよ。
髭ボウボウの野獣の様な風貌とは、えらく違ってますね~
また、張飛は武力だけの、ちょっぴりガサツな男のように描かれていますが、実は書が上手く、美人画も良くしたそうです。
なかなか文武両道の美男子だったようですね~
それに、自分に逆らう敵方の将軍でも、気骨がある人には礼を尽くし、客分として扱うこともあったそうで、人を見る目もあったようです。
但し、これは相手が相当な身分の人ならではで、自分の兵に対しては当たり散らしたり、刑罰をやたら厳しくしたりで、下からの人望は無かったようですね…
三国志演義では この部下に当たり散らす張飛が強調されていて、ちょっと残念です。
きっと劉備や諸葛亮との対比が必要だったからでしょうね…