「龐統」(ほうとう)については、私も実は良くは知らなかったのですが、この新三国ですっかりファンになりました。
三国志の武将や軍師は外見の優れた人たちが多く出てくるのですが、「龐統」は違います。
新三国の龐統はこんな感じです。(結構ブサイクです。すみません…)
人は顔じゃないですからね!
その証拠に、龐統は諸葛亮と並び天下の奇才とされた人です。
二人とも大した自信ですね!(二人は親戚同志だったみたいなので、似た者同志だったのかも…。)
龐統は最初周瑜の配下にいたようですが、もう一つパッとしなかった様です。
彼は周瑜を見くびっていたので、まあそれなら仕方ないかな。
だから、新三国でも周瑜の葬儀で悪態をついていたのですね~
(ただ、上司の悪態をつくなんて、有りえないから完全に作り話だと思います)
劉備が益州を攻めたいのに、攻められない、と悶々としていた時のこと。
益州は劉璋が治めていたのですが、劉一族で攻め合って世間の誹りを受けないか、と気にしていました。だって彼の宣伝文句は「仁義為本」「漢室再興」だから、おかしいですもんね。
劉備の悩みを聞いて、龐統は「仁義に反しない方法で益州を攻撃できるようにします」と自ら犠牲になる策を実行します。
それは、劉璋の伏兵がいると解りきった「落鳳坡」へ劉備の愛馬で先頭を切って乗り込み、ワザと身代わりに戦死、劉備に自分の仇を討つ、と言う名目を与えること。
すごい「策」ですね…。
若いころなかなか芽が出なかったから、軍師として取り立ててくれた劉備を知己としたからでしょうか?
とにかく、劉備は軍師の仇を討つ!と、同族の益州を攻め、蜀を建国し成都を首都としました。