アジア な  ブログ

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

1980年代の上海~北京びっくり旅1

ブログは、久々のUPとなってしまいました。
反省です。(v_v)

実は先週は中国出張づくめでした。(言い訳ですね…)

マイ フィールドの中国大連市を始め、今回は北京にも足を伸ばしました。

北京はパラリンピック開催中で、街はまだまだ管理下にありました。
車もナンバープレートが奇数か偶数かにより、走れる曜日が決まっていました。(渋滞緩和と空気浄化)

北京は 余りにも大きく、大連や上海に慣れた私には新鮮でした。

ですが、北京を訪れたのは、これが初めてではありません。

実は20年以上前に来た事があるんですよね。
思えば、怖いもの知らずの、『アホちゃうか~』みたいな旅でした。

その頃の私は、『謝謝』以外の中国語は一言も喋れませんでした。

が、無謀にも飛行機のチケットだけを握りしめ、ホテルも取らず中国へやって来たのです。
(もちろん、団体ツアー等ではありません!完璧な一人旅です\^o^)

当時北京直行便はなく、大阪から上海に飛び、上海から北京へ行く、と言うものでした。

『ホテルなんて、上海の空港(現在の虹橋空港)のインフォメーション・センターで取ればいいや』 
なんて、タカをくくっていたのですが、空港に着いたのが、既に夕方6時。
なんと、アテにしていたインフォメーションセンターはクローズしていたんです。

しかし、そんな事ではへこたれないのが、私です。

『じゃ、空港で寝るさ』とベンチに陣取ったところ、係員のおばさんが何やら怒鳴っているではありませんか!

どう考えても、私に文句を付けている様なのです。

が、何を言われているのか、サッパリ分かりません。

ボケ~と座っていると、向こうからスーツに身を包んだ若い男性が、私に向かって歩いて来るではありませんか!

その男性、私の前まで来ると、びっくりする程流暢な日本語で私に話しかけました。

『空港はもうすぐ閉鎖されますよ。ここに居てはいけません』

(あ~おばさんが怒鳴っていたのは、それだったんだ…でも、ホテルないし!)

『え!私、泊まるところないんです!』

大ピンチです!

さて、この後私はどうなったか、それは後日に。