アジア な  ブログ

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 漢王室の滅亡 ≪three kingdoms-第75~76集≫

今回は漢王室最期の帝、献帝のエピソードです。
 
ちょっと暗いお話ですが、このニ回はとても見応えがあります。
史実とは完全に違うストーリーですが、単独で一編の悲劇として成り立っていて、まるで「リア王」を観ているみたいです。
 
漢の献帝は、400年続いた漢室を廃せと大臣らから禅譲を迫られます。
漢王室の気運は尽きているので、曹丕に帝位を譲るのが、天意に適うと言うのです 。「天意」とはなかなか便利な言葉ですね。
しかし禅譲とは名ばかり、脅迫であって拒絶すれば命は無い訳です。
(大臣は全員曹操曹丕側の人達ですから、献帝は全くの孤立無援ですね) 
イメージ 1
 
 
禅譲には作法があり、受ける方は先ずは謝辞するのが昔の常識のようです。
(たとえ事実上脅迫して取ったものでも…) 
私には、分不相応でございます…みたいな感じをかもし出さないといけないんですね…
曹丕もこの形式を踏んで、史実では18回謝辞したそうです。(やりすぎ!)
 
この度は皇位禅譲ですから、この謝辞もキレイ事ではなく、「どちらに力があるか」のディスプレイが入り、血生臭い命のやり取りが絡みます。
 
献帝の最初の詔には、魏王(曹操)に対する配慮が足らないと、詔を書写した祐筆は斬首されます。
本来皇帝は自ら詔を書かないものですが、祐筆を殺され、二回目からは直筆する様に曹丕の家臣から迫られます。
皇帝にすれば、直筆を強要されるなどこの上ない侮辱ですが、筆一本さえ思い通りに動かせない事をこれでもかと言う程、思い知らされるのです。
この辺り、余りに残酷で背筋が寒くなりました。(これが10回以上繰り返されるのですよ…)
イメージ 2
 
 
結局、献帝は銅雀台で皇位を劉氏から曹氏に譲る儀式まで強要され、国名は魏となり、献帝は山陽候に処されました。
(国号を「魏」に変えることを宣言する曹丕
イメージ 3
 
この三国志では、献帝は山陽候として領地に赴くときに、元皇后と共に船に乗り込み、わざと船底に穴を開け、船もろとも河底へ沈んで行きます。(史実は曹丕の庇護のもと、寿命を全うしています)
 
元皇后の曹節(曹丕の姉)は、父の曹操献帝に無理やり押し付けたにも関わらず、実に義に厚い人で、曹丕の振る舞いを非難し、終始漢王室の女性として献帝をかばい続けました。
このドラマでは 献帝と運命を共にしています。
献帝曹節↓)
イメージ 4
 
 
この三国志での献帝は、最期の死だけは自らの意思で選び、誇りを貫いたのでした。
人に利用され続けた何とも厳しい生涯でした。
 
たとえ貧乏でも、自分の意思のままに生きる人生の方が、よほど幸せですね……😵