チャイナなブログ ANDOR Kishimura

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

楚漢伝奇(項羽と劉邦) 第22集

またまたブログアップは2週間ぶりとなりました。
この2週間の間アジア方面に出張しており、収穫も有りました。
中国以外のアジアは本当に久しぶり。他の国も良いですね~
 
さて、本当に久しぶりの項羽と劉邦。第22集です。
 
この回での大きな出来事は 劉季が「劉邦」と名前を変えること、雍歯が裏切ること、項羽が范増と出会う事などですね。ちょっと進展です。
 
前回の21集では、山中に住む桓楚・余英を項羽軍に合流させようと項羽が使者となって行きました。
しかし、男性10人でも持ち上げられない鼎を持ちあげたら話に乗ろうと、条件を出します。
項羽は・・・やっぱり見事に持ち上げました!さすが大力の項羽
イメージ 1
桓楚・余英もビックリ!項羽軍に合流することになりました。
 
こちらは劉季と粛何。粛何が劉季に言います。
「もう主公は昔の亭長ではないですよ。安家定邦と言うではありませんか。劉邦と名を変えられたらどうでしょう」
イメージ 2
劉季もこの名を気に入り、これより「劉邦」と名乗る事にしました。彼は、皇帝になってもこの名前で通します。
日本の武将がドンドン名前を変えるのとは、ちょっと違うようですね。
 
話は変わって秦朝廷です。
お久しぶりに趙高と胡亥2世皇帝です。
陳勝が亡くなったと 趙高の養子が報告に来ました。
イメージ 3
趙高は宦官なので、子供が作れないため、養子を迎えるんですね。
三国志曹操も宦官の養子でした。やっぱり家を途絶えさせるのは 中国では悪ですよね。
趙高は 二世皇帝にも報告するも、二世皇帝はお妾さん達と遊び呆けていて聞く耳も持ちません。
あ~もっとキチンと対応していたら、良かったのに・・・。
 
またまた、項羽のお話です。
項羽は駿馬に乗って町を歩いていますが、なかなか上手く馬を御せません。
そこへ後の軍師「范増」に出くわします。
この方この頃既に70歳くらいだった様ですが、先を見る目を持ち、心中には策が一杯・・・。
馬に乗った項羽を見染めて、ワザと因縁をつけます。実際、人を見る目が有る人は、結構外見で人判断できるようにも思います。
イメージ 4
ただ、人相に如実に出てくるのはやっぱり30代になってからかな。まあ、この時代の方は 今の時代より成熟するのが早かったと思いますので、項羽の面相にも多くが表れていたかもしれません。
 
こんな感じで偶然に項羽と出会った范増ですが、既に名のある人だったのか、項梁・項伯から是非軍師にと誘われます。
范増の住家に項羽も呼ばれ、膝を折って乞うたところ、項梁の軍師を引き受けました。
(このセット見覚えが・・・三国志諸葛亮の庵に使われたものと全く一緒です)
イメージ 5
范増は 恨みだけでは楚の復興は大義が無い、楚の後裔を見つけ楚のシンボルに据えることが必要だ、と提案します。
楚王家の生き残り「心」という名前で、庶民として羊飼いをしていましたが、項羽に見つけられ楚王となりました。
イメージ 6
 
さて、劉邦が瓮城丁公を攻めていましたが、その間城を粛何と雍歯に任せます。
しかし、有ろう事か雍歯が城と軍を占拠し反逆します。
 
彼は粛何は逃がしますが、粛何から劉邦に雍歯反逆の知らせが。
劉邦は直ぐに沛県に戻る事にしますが・・・。
続きは次回で