チャイナなブログ ANDOR Kishimura

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 諸葛亮、馬稷を使者に立てる。≪three kingdoms 83~84集≫

最近の日中関係は、雪解けはしていませんが表面上は落ち着きつつあります。
先月の上海は特に目立った「反日」は無かったようです。
 
日中間には「三国志」の様な共通の「宝もの」も有るんですから、文化の交流だけは絶やさないようにしなければいけませんね!
 
さて、その三国志です。
 
高希希監督の電視劇「三国」で、83集~84集に掛けてのエピソードです。
 
今回の見せ場は「馬稷」(字は「幼常」)が、東呉の孫権を説得する大一番です。
今回はちょっと長いです。(駆け引きが結構面白い場面なので)
 
馬稷は諺にも有る「泣いて馬稷を斬る」のあの人です。
このエピソードは後ほど出て来ますので、その時に。
 
馬稷は諸葛亮より9歳年下で、以前は諸葛亮を「先生」と呼び自分を「学生」と称していたので、諸葛亮と子弟関係だった様です。
諸葛亮も彼の知力・胆力を認め、また本人自身も大いに自負していたようです。
 
孫権を説得する役目は、今の日中関係みたいな状況下で、中国の習近平に日本との同盟関係を持ちかけに行くようなもの。
 
難関な上に、失敗すれば両国は今と違って直ぐに戦争状態になると言う、ハッキリ言って寿命が10年は縮まりそうな役目です。
(今の日中関係はそこまで絶対に行きませんよ~)
 
そんな役目に自薦したのですから、大した自信と戦略が有ったと言えます。
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現状の日中間で、大使に手を挙げる外交官はいなかったんじゃないでしょうか。
だいたい、中国の専門家が現政府にいるのか?とも思います。
 
まあ、愚痴めいたことはさておき、馬稷です。
 
ちょうどその頃、魏からも呉に使者が来ていて、「五路伐蜀」(蜀征服計画)を元に、蜀を一緒にやっつけようではないか、蜀をやっつけた後、領土を魏と東呉で分けませんか、と提案しようとします。
劉備が亡くなって直ぐですから、弱みが有れば即付け込む、大変迅速な動きです。
 
そこへ諸葛亮から呉の孫権に親書が届き 急に馬稷を使者に寄越すという。
 
魏の使者が来ているのは、呉の最高機密で諸葛亮に漏れるはずはないのに、何でこのタイミングで蜀の使者が来るんだ?、もしかして諸葛亮は魏と呉が同盟する事を予見しているのか?と呉はざわめきます
 
そこで諸葛亮が本当に予見しての行動なのか、馬稷の話を聞いてみよう、となった。

殆ど魏との同盟に傾いていたのを、土壇場で踏みとどまり中立を装いました。
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しかし、恐ろしい事に東呉にとって不利益な使者は煮殺すと、門の前に煮たった油を入れた大きな鼎を置いたのです。
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使者の皆さんは古典の知識が有りますから、これが項羽と劉邦の戦の逸話を引用している事は直ぐに分かります。
 

ウィキにこの辺の事がでていますので、詳しくはこちらをどうぞ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E8%8C%B9%E3%81%A7#.E4.B8.AD.E5.9B.BD

 
「覚悟して来いよ」と両国の使者に意思表示したんですね。
 
これを見たら、魏か蜀かどちらかの使者が煮殺される、と分かる訳ですから、普通は相当ビビりますよね。
 
しかし、馬稷は怯むことなく堂々と呉の孫権に謁見しました。
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おまけに、馬稷は相手の意表を突く奇策に出ます。
 
普通は蜀が不利な状況で、東呉に同盟を求めにいくのですから、膝を折ってお願いするのが当然ですが、彼は全く反対をやりました。
 
先ずは、孫権に叩頭をしないのです。
 
昔は君主に謁見する時は、「叩頭」と言って頭を地面に擦り付けた礼をするのですが、彼は立ったまま拱手(袖に手を入れる)だけ。
蜀漢は一国として帝王がいるが、東呉は地方の君主に過ぎないのに、最敬礼する必要はない、というのです。
 
これには孫権・臣下も大いに腹を立てましたが、馬稷のまったく卑屈でない態度に、逆に話を聞いてみようとなりました。
 
この辺、中国人と難しい話をするときには、大いに役に立ちます。
下手に出るのが、必ずしも謙虚と受け止められない、と言う事でしょうか。
 
それでもって、馬稷は「今回は東呉を助ける為にやって来た、蜀が助けてもらう為ではない」と大きく出ます。
 
これには一同「はあ?蜀が魏に攻められるんでしょ?」と白けた感じでしたが、そこが馬稷の狙い目です。
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隙が出来たところに、今度は論理的に持ちかけます。
 
 
魏呉蜀は鼎の脚と同様、一つが欠ければ均衡が破れる。
今蜀が滅べば、次は呉の番である。
呉は魏に取り込まれ、最終的に亡くなってしまう、と言うのです。
 
何だか飛躍しすぎな感じも有りますが、「だから来てやったんだ」とお為ごかしな面は今の中国政府とも似ています。
伝統的にそうなのかな?
 
東呉は逆にこの話を聞いて、一旦考え直してみるか、となります。
 
そこへ魏の蜀征服計画が悉く失敗した情報が伝えられ、やっぱり諸葛亮は魏の動きを予見していたかとなり、呉蜀同盟を復活することになります。
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このあたり、諸葛亮の戦術が大いに効いていますね。もちろん、魏の計画を破るだけの力が有ったからこそ、馬稷の特使と呼応出来たんだと思いますが。
 
ピンチをチャンスに変えた、本当にすごい大作戦だったと思います。
諸葛亮は自分の「如神」と言う噂も大いに活用したのでしょう。
 
次は、魏も代替わりしていよいよ司馬懿が表に出てくる場面です。