チャイナなブログ ANDOR Kishimura

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

三国志 孫権の凄み ≪Three kingdoms 第73~74集≫

今は三国志92集を観ています。
諸葛亮はすっかりおジイ様に・・・(でも男前なおジイ様ですが)
残すところ、3集だけで寂しいですね~
 
さて、今回は孫権のエピソードです。
 
関羽が樊城を攻めていた頃、関羽が侮っていた東呉はとてもクレバーでした。
東呉の孫権は密かに曹操に密書を送り、曹操と組んで後方から関羽を攻めたのです。
 
しかし、元々孫権曹操と組む予定ではなく、幕僚・陸遜の進言で劉備陣営と組むつもりでした。
劉備の元妻は孫権の妹でしたが、孫権が連れ戻してから両者の間には繋ぎ止めるものは無く、孫劉同盟は事実上崩れていました。
そこで、孫権は自分の息子と関羽の娘を結婚させることを思いつきます。
 
使者として呂蒙が行きますが、関羽はその申し出を「我虎女豈肯嫁犬子」(犬の子に虎の娘を何でやれるものか(頭が高い)とケンモホロロに断ってしまいます。
断り方にも色々あると思いますが、幾らなんでもちょっとなあ~
案の定孫権は怒り心頭、曹操と組むのですよね… あ~アホヤね~
 
結局、麦城で関羽は呉の大都督・呂蒙に殺され、呂蒙はその首級を東呉に持ち帰りますが・・・
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実は、荊州攻めを始めた時、東呉では副都督の陸遜孫権に進言していました。
呂蒙が最も憎んでいるのは関羽だが、荊州攻めで関羽を殺せば劉備の恨みを買うことになり、荊州どころか呉の本拠地に劉備が攻め込む。それは、呉にとって何も得にならない。」
 
その当時、劉備の勢力はそれほど強かったのです。
魏呉蜀が三国鼎立しているとは言え、魏と蜀が飛び抜けており、呉の力は一段劣っていました。
 
なのに、大都督・呂蒙は耳を貸さず、事もあろうに関羽の首を持ち帰ったのでした。
 
孫権は手柄を立てた?呂蒙を表面上歓迎し、祝宴も開きましたが、その宴の後、呂蒙は謎の死を遂げます。
孫権からすると、三軍を統括する大都督が君主の命を無視、国の利益より私怨を優先したのを、危険だと思い許せなかったのでしょう。
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陸孫は、呂蒙孫権に殺された事を察知します。
 
陸遜は、孫権に「大都督に誰が良いか」と聞かれますが、孫権の意思を察知して「空席のままが良いかと」と答えます。
孫権は我が意を得たり、と三軍を自ら率いると宣言、「自分は君主として10年以上になるが、常に大都督が邪魔だった」と副都督・陸遜に話します。
 
陸遜孫権の恐ろしさに身震いし、我が身の保全を図るため、副都督を辞去、故郷に帰るのです。
 
若いのに孫権は凄みのある人ですね~。
でも、一国を治めるためには、非情なことも必要なのかもしれません。
 
(ただ、三国志演義とも正史三国志ともストーリーは違います。この辺はかなり創作入ってます)
 
ところで、孫権呂蒙陸遜の撮影現場の動画を見つけました。
画面はちょっと粗くて見難いですが、画面を小さくするとマシになります。
白い衣装が孫権、鎧を着けているのが呂蒙陸遜です。
(動画は土豆より転載)
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PC↓
 
呂蒙は 呉の鎧が三国の中で一番きれいだと言っています。
また、陸遜は鎧は重いけど気が引き締まる、と話しています。
でも夏は厳しい!とも。
鎧は牛革でできているんですね~重いだろうな~