三国志は現在第70集視聴中です。
無税にしたり、貯蔵している食料を領民に分け与えたり、劉備よりも仁を以て政に臨んでいるように思えますね~。(-_-;)
その成果も揚がり国力も充実し、かの有名な『銅雀台』も竣工しました。
竣工を記念して文武百官の腕比べが催され、曹操はその場で息子たちの力量を測ろうとしました。
要は跡継ぎの目星を付けておきたかったのです。
史実に拠れば、曹操の息子は25人以上いたのですが、「新三国」ではあたかも5人のみの様になっています。
当時長男と五男「曹沖」は、すでに亡くなっていました。
長男は戦死。
(あくまでも「新三国」のストーリー。事実は違うようです)
ところで、腕比べでは、武官は弓の技、文官は賦(古代の文体)を競うものでした。
逆に二男「曹丕」は「漢王室を讃える」賦を作り、無冠に終わりました。
実は、この場で曹操は王位に就く事を幕僚たちから上奏させ、魏王になる下準備をするのですが、反対派も多くいました。
「劉氏に非ずんば、王位を許さず」と言う暗黙のルールがあったからです。
反対派の文官達の筆頭が、実は曹操の片腕「荀?周」。彼を始めとする反対派は、この「銅雀台の宴」を欠席していました。
欠席している文官達は実力派ばかりで、彼らの心も掴んでおく必要があるから、と言う理由です。
でも、これはちょっと無理がありますよね~。
曹操は極めて猜疑心の強い人だから、反対派に加担していると見なされかねないでしょう。
一般的に「曹丕」は酷薄で残酷な人物として描かれていることが多いのですが、この「新三国」では冷酷だけど、野心を秘めた聡明な人として深く描かれていて興味深いです。
「新三国」の魅力は、今まできちんと描かれていなかった人物を丁寧に表現していることもありますね~
子敬(魯粛)も含め。
息子同士の熾烈な競争を切り抜け、結局曹丕が世継ぎとなります。
が、彼の死後魏は「司馬懿」の一族に乗っ取られるのですから、皮肉ですね。
あ~あ。(-_-;)