アジア な  ブログ

三国志など中国語のドラマや日常情報について綴ります

中国語との出会い-4

この話題に久しぶりに帰ってきました。
前回から早2年・・・え~に、2年だって!!(一体いつ完結するんや!)
 
実は この話を楽しみしてくれる方がいらして、「続きはどうなったの?」と聞かれたのがキッカケです。
ありがたいことですね。
 
さて、前回の内容は、確かマセた中学1年の私が「源氏物語」を読んだところまででした。
 
源氏物語」は読めば読むほど味がありました。
ここから 中国語まで結びつくには、やっぱりその時代の背景をお話しする必要があります。
これがまた、長い話ですが・・・。すみません(汗)
 
当時の貴族社会では家柄が一番重要でした。
親の身分が高くないと、いくら能力があっても絶対にダメ!
一生出世は出来ません。
ちょっと不平等ですが、その時代は当たり前でした。
 
じゃあ家柄の低い貴族はどうするか。

一つは、コネか上役を接待してポジションを貰う。

もう一つは、当時は正式文書は漢文で書いていましたから、漢籍の素養を研いて取り立てて貰う。

実際は、家柄も無い下位の貴族は 漢籍の知識が有っても大変だった様ですが…。
 

さて、このころは中国文化をお手本とし、日常的に漢文が使われていたので、貴族の子弟たちは、論語日本書紀を初めとして、唐詩まで勉強していました。
このくらいの書籍は、大体皆そらんじていて、いつでも言えるようにしていました。
後は、朗詠や和歌。
こちらは社交の手段として必要でした。
 
源氏物語が書かれた時代、学校の歴史でも出てきたように、「摂関政治」真っ盛りの頃でした。
 
簡単に言えば、天皇さんに自分の娘を嫁がせて、男の子を生んで貰う。
そうなれば 自分は天皇家と親戚です。
これを外戚と言うそうです。
また、その孫を何とかして皇太子にすることが出来たら、今度は次期天皇さんのおじい様。
 
ここまで来れば、時の政府での影響力と権力は絶大です。
この代表格は藤原道長さんです。
 
でもですよ、簡単に自分の娘に天皇さんの子供を生んで貰うと言っても、簡単ではないのです。
ここから、紫式部みたいな人が出てくるのですが、それは次回にて。